「フィル・・・・さあ、これを飲むんだ。」

「・・・・・・・・・。」

パテルが差し出してきたのは、警察の牢屋で嫌というほど飲まされた下剤。
フィルは嫌な汗が吹き出てくるのを止められなかった。

ざっと体の中が冷えたような気がして、歯の根もあわなくなりそうだったが、あの頃のフィルとは違う思いがある。

(ご主人様、ご主人様、ご主人様・・・・・!)

頭の中にカインの顔が、声が、笑顔が、そして最後に見せた泣き顔が



                  はなれたくない・・・・・・・・・・・っ




浮かんでは消えた。

フィルは下剤を受け取り、ゆっくりと口元に運んでいく。


パテルがにやにやしながらそれを見ていた。


(あなたを哀しませやしません・・・・!)

フィルの目がきっと釣りあがったかと思うと、次の瞬間それをパテルの目にかけた。

「ぐっわあぁ!!」

完全に油断していたため大量に下剤が入ってしまった目を覆うパテル。その隙を突いてフィルはすばやく後ろに回りこみ、パテルの首を思い切り殴った。

カインの仔犬が出場しているというので、エリックの試合を見た。

なんとなく話しているうちにロビンから、一度で気絶させられる場所というのを聞いた。

だから自分もできるだろうと思っていたのだ。

ガヅッ・・・!

「ぐっ!」

どさ・・・・っ

パテルの体が床に倒れる。フィルは知らず知らずのうちにつめていた息をはく。

「っは・・・、っはぁはぁ、はあぁー・・・」

(やった・・・・のか・・・?)

フィルがかがみこんで本当にパテラが気絶しているのかを調べようとした時、パテルの手が握りこぶしをつくりフィルの裸の腹にめりこんだ。

「ぐっは・・・っ!!」

「おのれ!!家畜の分際で!!!!主人に歯向かうとは!!!!」

腹を抱え床に膝をついたフィルを、完全に立ち上がったパテルが踏み続ける。

エリックの試合も見た。

ロビンの教えも聞いた。

けれどフィルはエリックのように動けず、ロビンの示唆した場所を正確に殴る事ができなかった。

フィルは、エリックでもロビンでもない。軍人でも警官でもないからだ。

「このっ!!このっ!!ヴィラも、こいつの調教師も!!どいつもこいつも!!ロクデナシばかりだな!!!こんな、駄犬を!!!!この私に、送るなど!!!」

自分が無理にフィルを連れ出した事などすっかり棚に上げて、ヴィラとフィルとフィルを調教したものを罵り続けるパテルの声に、痛みと息苦しさに顰められていたフィルの目が、かっと開いた。

今、こいつは誰を侮辱した・・・?

誰を、ロクデナシなどといった・・・・?


「貴様を調教したやつも、見つけ出して同じ目にあわせてやるっっ!!!」

そういって足をあげた時、フィルは今までの弱弱しさが嘘のように機敏に起き上がり、傍に置かれていた椅子でパテルの後頭部を強打した。









数十分後。パテルであった死体の前にフィルが立ち尽くしていた。
手には折れた椅子。何も身に纏っていなかったため、パテルの血が体についている。

「はぁ・・・っ、はあ、はぁっ・・・・・っは、はあ・・・・っ」

錯乱しそうな精神の中、フィルの脳裏にカインがぽつりともらした話が浮かんできた。

詳しく知るのは今のところエリックだけらしいが、ぽつりとカインが漏らしてくれた話では、カインも身請け先から主人を殺して逃げたらしい。


  ごしゅじんさまと・・・・おなじ・・・・・


その事実がフィルをかろうじて繋ぎとめていた。


誰かと同じだというだけで安堵できるなど。こんな時に誰かを思い出すなど。誰かのためにこんなことをしてしまうなど。以前のフィルからはとても考えられない事だ。

(愛も恋も信じられず、仕事の成績をあげることしか考えなかった俺が。)

殺人も犯すほど誰かを愛するなんて!


主人を失った館にフィルの笑いが響いた。

「ご主人様!!愛してます!あなたのためなら、あなたの憂いを消すためなら、こんなこと簡単に出来るくらい愛してます!!!」

   だから、俺を変わらず愛してください

誰かが見ていたら間違いなく異常と思う光景。

死体の前で血を浴びて立ち尽くし、天へ向けて手を伸ばす全裸の男。

けれどフィルの目は無邪気で純粋な愛情に満ちていた。













体を清め、服を着て入り口に向かうその道で、気が付けば、フィルの口からは以前覚えた格言が一つずつこぼれていた。
必要だから覚えたが、全く共感しない、自分には決してありえないと思った言葉。
今ではその一つ一つに実感がこもり、フィルはその一つ一つをかみ締めるように口にしている。

彼は今実感していた。これらの言葉はありえたのだ。と感心していたのだ。

「恋とはサメのようなものだ。常に前進していないと死んでしまう。」
事実だ。この言葉は「恋が死ぬ」ことを意図していったのかもしれないが、今の俺はご主人様に会うために前進していなければ焦がれ死んでしまいそうだ。

「恋愛は戦争のようなものである。はじめるのは簡単だがやめるのは困難である。」
事実だ。もうご主人様のいない日々には戻れないし、戻りたくもない。

「愛とは・・・・ゲホッ!」
あの男に殴られた腹が痛み、フィルは大きく咳き込んだがそれでも語るのを止めようとしなかった。
それほどにフィルはカインを思って愛を語る事が幸せだったから。

「愛とは決して後悔しないこと。」
事実だ。ご主人様に隷属したからここに帰されることになったけれど、ご主人様を愛し隷属したことに後悔なんてない。


ひたっ・・・ひたっ・・・・ひたっ・・・・

フィルの歩みが止まる。大きな屋敷の、大きな玄関ホールにある大きな階段の上。大きなシャンデリアを見上げながら、大きく手を広げ、大きな声で叫んだ。



「愛とは、神聖な狂気である!!!!!」



フィルは大きく笑みを浮かべ、大きく息を吐き出した。けれどこれら全てをたしても、自分のご主人様への愛に比べたらちっぽけだ。と思った。


「今、フィルがいきますよ。ご主人様。」

もうさみしがらないで・・・・・

フィルは声にならない声でそう囁くと、また歩き出した。



















とても静かな海辺に一人の青年が立っていた。
人家も街も近くになく、あるものは森と海とその青年の館だけなので、まるで外界から隔離されたように静かだ。
青年はどこを見るともなく波打ち際を眺め、時折遠くへ視線を投げかける。その儚さは今にも海にさらわれそうなほど。

その青年はフィルの主人のカインだった。

それを見たフィルは情報が本当だったと喜ぶよりもまず、どうしようもなく切なくなりすぐさま駆け出した。




「ご主人様っ!!」

「え・・・・・フィル?!」



フィルは、少しだけ痩せたようなカインに向かい泣きながら走っていく。
カインは一瞬だけ警戒したものの、フィルの姿を認めた途端それは霧散した。

いつもフィルは不器用だった。プライドをなげうって何かすることも、余裕のない姿を見られることも嫌う。だからそれらが主の恋愛には、とても臆病で不器用なのだ。
そんなフィルが恥も外聞もなくカインに駆け寄っている。

こと不器用さにかけてはフィルと同じか、あるいはそれ以上のカインはその事の重大性を感じ取り、大きく腕を広げた。
フィルの全てを受け止めるつもりで。

フィルはそこで確かに待っていてくれるカインの姿に感激して、涙を零しながらなお走った。これだけみっともなくても受け止めてくれるカインに安心したのだ。


「ご主人様ぁああ〜〜〜!」

「フィル・・・っ」


抱きついたフィルは安堵に泣き、抱きとめたカインは愛しさに泣いた。



二人は、しばらくそのまま泣き続けた。











〜後日・ヴィラにて〜

「ご主人様っ!!どうしてこいつだけなんですか?!俺もご主人様のところにいきたいです!」

「俺も、俺もです。ご主人様っ!なんでもしますから連れてってください!」

「うるさい!ぼくは自力でご主人様のところまで逃げきったんだ。傍にいたければそれくらいのことしてみろ!!」

「何だと?!ご主人様の前では「ぼく」なんて良い子ぶりやがって!!そんなでかい口叩くのはここ(ヴィラ)から抜け出してからにしろ!!」

「そうだ!それに俺だって身請けされたらそれくらいのことやってやる!!お前だけだと思ってるんじゃないだろうな!」

フィルはカインの家に引き取られる事になった。あの後、パテル・ファミリアスほどの大物が殺されたので世間は騒ぎ、関係者は意地にかけて犯人を見つけようと躍起になっているため、カインがかくまう事にしたのだ。
もちろん世界の要人がトップシークレットで通うこのヴィラほど安全な場所はないので、カインは最初またヴィラに収容してもらおうかと考えていたのだが、フィル自体元々心の強い方ではない事を思い出した。こういった事態のとき一人でヴィラにいることで、心を病んでしまうかもしれないと思いなおし自分の館に住まわすことにしたのだ。

そのことの報告と、パテルが死んだ事に関しての損害を考慮した賠償金を支払うためヴィラに訪れた時、しばらくおとなっていなかったエリックとロビンに会いに行くと、二人はまずカインの体を心配し、次にフィルの今後を話すと不満と嫉妬を隠そうともせず騒ぎ出した。

かたや屈強な外見で、元軍人のエリック
かたやすらりとした外見ながら護身術などを警察できっちり習っていたロビン
そんな二人にどれだけ詰め寄られでも、特になんの武術も習っていないはずのフィルは歯牙にもかけずあしらう。
パテルに踏みつけられたときの悔しさ、ご主人様が侮辱された時の屈辱に比べればどうということもなく。
ご主人様と別れるときの恐怖に比べれば、すごまれたとて気にすることではない。

それを「ご主人様にとって特別な地位にいるという自信」ととった二人は更に怒り、フィルに詰め寄る。

そんな三人のやりとりを、まるでじゃれている仔犬を見るかのように(事実カインにはそうとしか見えないのだろう)ニコニコと機嫌よく眺めていたカインは、ふと悪戯心をだしてその交流の中に混ざってみた。

「ロビン、身請けされたらっていうけど、俺が誰からも守るっていった事信じてない?それとも忘れた?」

わざとらしく小首までかしげて聞いてみる。すると予想通り、ロビンは焦って「ノー!!」と大きな声で否定しながら抱きついてきた。

こんなやりとりが心底幸せで、カインは珍しく声をたてて笑い、「自分を守りたいと言ってくれる子」エリック、「自分のためを思って泣いてくれる子」ロビン、「自分をどこまでも追ってきてくれる子」フィル。
そんな全ての「愛しき特別達」をぎゅっと抱きしめた。




・・・・・・・・・・・・・

参考「世界傑作格言集」様
・太宰治氏の格言
・映画「アニーホール」より
・メンケン
・映画「ある愛の詩」より
・ルネサンス期の言葉「この犬をご指名ですか」

 

〔フミウスより〕
かっこいー! コレ面白いです! 絵がいいですね。あと、フィルの掘り下げが深い! 
フィル、こんなドラスティックなやつだったとは! 面白い!
ご主人様、楽しんでいただけましたでしょうか。
ひと言、ご感想をいただけると鬼のようにうれしいです♪ 
(メアドはaa@aa.aaをいれておけば書かなくても大丈夫です)

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